節分の豆まきの由来!大豆にはこんな意味があった!

冬の行事

節分豆まき

2月3日は節分ですね。
小さい頃に豆まきをしたことのある方も多いのではないでしょうか。管理人が小さい頃は町内で節分用の豆が配られました。お子さんがいる家庭では、幼稚園や保育園で節分の行事があるかもしれません。

ところで、「節分・鬼・豆」…この3つはどのようにつながるのでしょうか?
節分には豆をまいて鬼を追い払うことだけを知っていて、「なぜ?」がなかったように思います。

記事にまとめましたので、お子さんと一緒に節分と豆まきについてお話をしてみませんか?


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なぜ豆をまく

「鬼は外!」と言って豆をまきますから、邪鬼を追い払い、厄除けをするのが目的です。では、なぜ豆なのでしょうか? 日本人の主食、米ではダメだったのでしょうか?

これにはいくつかの理由があるといわれます。

まず一つ目、穀物や果実には邪気を払う霊力があるという考えです。でも、「穀物」なら米でも麦でもよさそうですね。

 

次に二つ目の理由。豆を「魔(鬼)の目 = 魔目(まめ)」と読んで、鬼の目に豆をぶつけてやっつけるという考えと、「魔を滅する = 魔滅(まめ)」という語呂合わせが「豆」につながるという考えです。

 

こうした理由で豆を攻撃材料として邪鬼を払い、そして福を呼ぶ行事へとつながっていきました。年の数(もしくは年の数プラス1個)の豆を食べ、無病息災を祈願しました。現代のように医学が発達しておらず、衛生状態も悪かった昔は、伝統行事と食べ物を結びつけることによって、健康祈願をしていたことがよくわかります。

 

節分の豆まきはいつ、どこで始まった?

節分の風習はいつ、どこで始まったのでしょうか?

日本における節分のルーツは、平安時代に中国から伝わったとされます。悪鬼を追い払う「追儺の儀式」(ついなのぎしき)が由来です。

 

暦の上では季節の始まりを示す立春、立夏、…などという日があります。元々、立春が新年の始まりとされ、節分は立春の前日、つまり大晦日の行事でした。季節の変わり目には鬼が出ると言われ、年末にその悪い鬼を追い払ったのです。

平安時代の文化の中心は皇族や貴族で構成される宮中でしたから、節分も宮中行事として始まりました。後に神社や寺でも行われるようになり、江戸時代になって一般民衆にまで広まりました。

 

正しい豆まきの作法でまいてみよう!

豆と升

節分の豆まきにもちゃんとした作法がありますので、ご紹介します。

  1.  煎った大豆を升に入れて神棚に供えます
  2.  鬼は夜に出ると言われますので、日が暮れてから始めます。
  3.  年男(今年の年齢が12の倍数となる男性)か家長が「鬼は外、福は内!」の掛け声をかける。
  4.  玄関や窓を開けて「鬼は外!」と言って豆をまきます。払った鬼が入って来ないようにすぐ閉じます。
  5.  次は「福は内!」と言って室内に豆をまきます。

ここでは大豆としましたが、地方によっては落花生をまくこともあるそうです。
殻があるので、まいた豆を食べられるメリットがあります。

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まとめ

節分、豆まき、鬼のつながりについてまとめました。

豆まきの風習は中国由来で、平安時代に伝来し、庶民に広まったのは江戸時代でした。季節の変わり目には邪鬼がでて、それを追い払うための儀式が豆まきでしたね。そして、穀物の持つ霊力と「まめ」につながる語呂合わせが豆をまくことにつながっているのでした。

豆まきを家庭でやるのは小さいお子さんがいる頃に限っていると思いますが、この記事が節分と豆まきの理解につながってくれれば幸いです。


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